青之丞(あおのすけ)の旅と読書日記

旅の途中で読んだ本の紹介と、撮った写真にまつわる歴史

『マチネの終わりに』 平野啓一郎 毎日新聞出版

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久しぶりに高尚な大人の恋愛小説に出会った。

途中、読むのをやめたくなるほど衝撃な事件が起きるが(ショックのあまり、実際しばらく作品から離脱した)、これほど胸に突き刺さった小説は他にない。

人生でたった一人の相手。使い古された言葉でいえば、「運命の人」と出会えた人間はどれだけいるのだろうか?たった数回会っただけで、その後の人生に影響を与え続ける二人、そんな二人だからこそ出会うタイミングによっては、それが悲劇に転じてしまう可能性も大きい。まさにそんな二人を描いた作品。お互いが真に相手のことを想いすぎるとすれ違ってしまう、もともと恋愛なんて、両者の、もしくは片方の傲慢によって成立するものだと思い知らされた。

「過去は変えられないという言葉」は常日頃から心にあるフレーズだったが、この作品に読んで、そのフレーズが進化した。過去に起きた出来事は事実として変えられないが、これから先、未来の生き方によって、過去に対するイメージは変えられる。

しばらくこの作品の余韻から抜けられない気がする。

満足度4.8点(5点満点)

 

 

 

『ツバキ文具店』 小川糸 幻冬舎

 

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 鎌倉にある小さな文房具屋、ツバキ文具店。現在の店主は雨宮鳩子、通称ポッポちゃん。先代の祖母から引き継いだ店。もうひとつ引き継いだ家業、それは手紙の代書屋だった。絶縁状、お悔やみ状、借金の断り状、恋文等々。その内容、相手によって筆記具、紙質まで考える。たとえば、弔意の言葉はふだんよりずっと薄い墨でしたためる理由は、悲しみのあまり硯に涙が落ちて薄まってしまった証というように。ガラスペン、万年筆、毛筆と状況によって使い分ける。手紙の送り手の心境、それを受け取る側の気持ちを想像し、もっとも気持ちが届くように細心の気配りを心がける。メールという、瞬時にして相手に気持ちを伝えることができる便利な仕組みを手にした我々の生活に、手紙を送るという彩りを付加して、手紙を投函してから相手に届くまでの数日間、あれこれ想像する気持ちの余裕が必要なのかもしれない。

鎌倉という街の雰囲気を絶妙に醸し出し、また鳩子がその周囲の人たちに次第に溶け込んでいく様子を見事に描いている。鳩子も心に傷を負って鎌倉に戻ってきた。周囲の人々に支えられながら、自分の将来にむけて気持ちを固めていく。特に隣人のバーバラ夫人との関係は微笑ましく、古き良き時代の日本を思い起こさせる。いい街だなぁ、鎌倉、住んでみたいと思う。そして大切な人に手紙を書きたくなる。言いたくて言えなかったこと、言いたいのに言えないことをゆっくり丁寧に書き綴りたくなる。

満足度4.8(5点満点)

直接本人に言えないことを、思い切って手紙に書いて贈ってみよう!送る手紙じゃなくて、贈る手紙を! 日々の生活に、もうひとつ彩りがふえるかもしれない!

 

 

 

朝鮮歴代の王が眠る丘陵

朝鮮王朝の王墓群   世界遺産2009年登録

f:id:bluetoone:20160312110236j:plain宣陵・靖陵・中宗陵

15世紀から20世紀にかけて造営された王墓群。韓国の9番目の世界遺産。こんもりした丘陵の上の建造された王墓が多いのでなかなか写真を撮るのに苦労する。立ち入り禁止の王墓もある。

f:id:bluetoone:20160312110248j:plain文人像

文人像や動物の像がユーモラスでかわいい。韓国の建物は日本の建造物に似ていて新鮮味が薄かったけれど、王墓は韓国独特で、他の国では見ることがない様式だった。

誰もいない厳島神社!

厳島神社  世界遺産1996年登録

f:id:bluetoone:20160307230850j:plain摂社 客神社

 1168年、平清盛が社殿を造営したことによってほぼ現在の厳島神社の形になった。正月に行ったので、年始の行事、舞いを朝早くから見ることができた。写真に向かって左奥の建物は、豊臣秀吉が恵瓊にいって建造された豊国神社本殿(千畳閣)。

f:id:bluetoone:20160307230912j:plain引潮のときの回廊

 誰もいない厳島神社が撮りたくて、拝観時間ぎりぎりに行き、一番最後の拝観者になって振り返り振り返り撮ることによって成功しました。そして翌朝も朝一番で参拝して、参拝者が舞いを観ている間に、ゆっくり撮ることができました。

f:id:bluetoone:20160307230942j:plainシンメトリの回廊

このシンメトリの写真は個人的にとてもお気に入りの1枚。

f:id:bluetoone:20160307231001j:plain大鳥居

 大鳥居は1850年の台風による被害で倒壊し、その後25年間は大鳥居がなかった。1875年に再建され、それが今に至る。もし、今後鳥居が崩壊するようなことがあれば、これほどの木(材木にできる木)がないことから再建は難しいと聞かされた。

 

ローマ・テルミニ駅で警察に連行!?

f:id:bluetoone:20160403104840j:plainローマ・テルミニ駅

ローマのレオナルド・ダ・ヴィンチ空港に到着したのは夜だった。テルミニ駅の「パ

ニーニ」というファーストフード店で生ハムのサンドイッチを買って部屋に戻って翌日

に備えて早めにベッドに入った。夜中の3時頃、「ドン、ドン、ドン」と部屋のドアを

叩く、激しい音で目が覚める。夢うつつの状態で、ドアを開けると大柄の白人が立って

いた。部屋を間違えたらしく、僕の顔を見て無言で去っていった。いい迷惑。

目が覚めてしまい、「ここはローマなんだ」と頭に浮かんでからは興奮して、もう一度

ベッドに入る気持ちにはなれず、三脚を担いでカメラを首にぶら下げて街にでてみるこ

とにした。テルミニ駅にほど近い駅だったので、テルミニ駅を一周することにした。

誰もいないだろう思っていたが、路上生活者が大勢いた。そういえば、この旅でローマ

からフィレンツェまでの特急電車に乗る予定を思い出し、特急電車の写真でも撮ってお

こうと駅構内に入ってみると、ちょうど特急が停車していた。さっそく三脚を立ててカ

メラをセットした瞬間、後ろの方からイタリア語で大きな声が聞こえた。知り合いがい

るはずないので、ファインダーを覗いていると肩をたたかれ、振り向いた。

警官が二人立っていて、イタリア語でまくしたてられた。何を言われているのかまった

くわからず、困り果ていると、動作で「一緒に、こい!!」言葉が通じないせいもあっ

てか、かなり怒っている様子。一生懸命、拙い英語で話しかけてもまったくの無視。

すると、「カモン!(怒)」と英語。英語がわかるなら、少しは僕の話も聞いてくれ!

警官の一人が僕の腕をつかんだとき、遠くからひとりの女性が何やら、言葉を発しなが

ら駆け寄ってくる。雰囲気からは「すいませーん、ちょっと教えてください!」って感

じに見えた。やってきた女性はおそらく20代前半、とても美人。いやすごい美人。

警官二人は、僕に対応していた口調も顔つきも、見てすぐにわかるほどメロメロ状態。

二人ともすでに僕の存在は忘れている。警官は僕に背を向けて美人に対応しているの

で、ゆっくり、静かに警官を見ながら、後ずさってみた。完璧に僕は存在していない。

警官との距離が10メートルぐらい離れたところで、猛ダッシュでホテルに戻ることが

できた。あの美人のおかげで連行されずにすんだ。イタリア人男性が女性、とくに美人

に弱いおかげで救われた!

あとでわかったことだが、ローマでは公共の場で三脚を立てるのは禁止されている。

そのために連行されそうになったらしい。それ以外は思い当たらない。

旅行中、警官の姿を見るたびに、苦い想いをし続けた。

 

 

ゴールデンウイークのベトナム旅行

エアーとホテルの予約は完了していたベトナム中部の世界遺産をめぐる旅。

残念ながら、やはり仕事の都合でキャンセル。これで3度連続の海外旅行断念。

せめてGWの休みが4連休が1回でもあれば・・・。

夏休みは、富山か福井か白川郷で1泊して、京都に行く予定。シルバーウイークはとて

も残念な飛び石連休。海外旅行は、最低でも冬まであおずけ。

冬の海外は、ほとんどが冬でヨーロッパも寒いので、行き先の選択に迷う。

暖かいインド・スリランカ・オーストラリアあたりが候補地になる。

インドなら、タージ・マハルエローラとアジェンタ石窟寺院の世界遺産

スリランカも、シーギリアなど仏教遺跡の世界遺産。オーストラリアなら、シドニー

オペラハウスとウルルかな。

寒いのを我慢してヨーロッパに行くなら、クリアチア・オーストリア・ギリシア。

政情安定していたら、チュニジアやモロッコにも行きたい。

最近、冬の旅行でも6月くらいから予約しないと、なかなか思うような予約がとれなく

なっている。気持ちを切り替えて、冬の旅行の行き先を決めようと思う。

 

「暗幕のゲルニカ」 原田マハ 新潮社

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この小説のおかげで、またひとつ絵画の知識が増えた。その絵画は現代アートの巨匠パブロ・ピカソの代表作「ゲルニカ」。この小説は20世紀と21世紀の二つの物語から成り立っている。

スペインの内戦から逃れピカソはパリに住んでいた。ドイツ・イタリアのファシスト政権の支援をうけた反乱軍フランコ将軍の勢いはまし、スペイン共和国軍は追い込まれたいた。その最中、ナチス・ドイツの航空部隊がスペイン・バスク地方の小都市ゲルニカに人類史上初となる無差別空爆をしかけた。その事実を知ったピカソは多大な衝撃を受ける。1937年パリ万国博覧会のスペイン館の目玉となる大きな絵画の製作を依頼されていたピカソが、「反戦」というメッセージを世界に送るためにために描かれたのが「ゲルニカ」だった。武器を持たず、筆一本でファシズムと戦った。パリ万博が終わると、反戦の「ゲルニカ」はヨーロッパ各地を廻り、スペイに真の民主主義が戻るまでMoMA(ニューヨーク近代美術館)が預かるという条件のもとアメリカへ渡る。そしてスペインに民主主義がもたらされた42年後、スペインに返還され、レイナ・ソフィア芸術センターに収蔵されることになった。「ゲルニカ」は、誕生からずっと戦争に荒波に揉まれ続けた。

八神瑶子はMoMAに勤務する学芸員。2001年9月11日、アメリカ同時多発テロで夫を亡くしていた。同時多発テロに報復するためにアメリカは、アフガニスタン空爆、そして今度は2003年3月19日アメリカを中心とした連合軍がイラクを攻撃する。この悪の連鎖を断ち切りたいという想いから、瑶子は「ピカソの戦争」というタイトルの展覧会を企画する。その展覧会には、反戦のシンボル「ゲルニカ」が必要不可欠な作品であった。レイナ・ソフィア芸術センター所蔵されて以降、作品のコンディションを理由に一度たりとも動かしたことがない「ゲルニカ」。実はコンディションの問題だけでなく、反戦を掲げた作品としてテログループに狙われていた。多くの人たちの協力を得て、実現を目前にした搬送前夜、瑶子はテロ組織に拉致される。果たして、瑶子と「ゲルニカ」の運命はいかに・・・。

絵画について無知だった。「楽園のカンヴァス」や「ジヴェルニーの食卓」などの絵画シリーズで、多くの巨匠や作品を知ることができ、絵画に興味を持つことができた。特に作品の歴史的背景がわかるのが何より楽しい。絵画は高尚で難しいというイメージが払拭され、親しみを持てるようになった。瑶子の熱い想いをもって、一生懸命がんばる姿に心が熱くなる。ピカソの才能は、身の回りの人たちの心を惹きつけ、自然と自分の思うままに存在させる。やっぱり偉大な芸術家はどこかわがままなのかな。

実はピカソの作品は苦手かも。

満足度4.2(5点満点)