戦場カメラマン 一ノ瀬泰造 ①
池に映るアンコール・ワット
1973年11月、一人の戦場カメラマンがカンボジアで消息を絶った。
そのカメラマンの名前は一ノ瀬泰造。
そのころカンボジアではポルポト政権と反政府軍クメール・ルージュとの内戦が繰り広げられ、カンボジアは戦場と化していた。当時、アンコール・ワットはクメール・ルージュの軍事拠点で、一般にも報道関係者にも硬く門戸を閉ざされていた。
そんな状況下においても、何人ものカメラマンがスクープ写真を撮るためにアンコール・ワットに潜入し、行方を絶っていた。泰造もその一人で、名誉得ようとする気持ちが無謀な行動をとった理由になったが、純粋にアンコール・ワットを見たいという気持ちも強かったと思われる。カンボジアの子どもたちに「プータイゾウ、プータイゾウ」と慕われ、カンボジアの人々と交流の深さがそう思わせるひとつの理由。
アンコール・ワット単独潜入を決行したとき、ビザが切れていて、ベトナムから韓国弾薬船でメコン河を遡る決死行の末、カンボジアに密入国。行方不明になった9年後の1982年、プラダック村で死亡が確認された。
泰造について、いくつかの書籍が刊行され、また『地雷を踏んだらサヨウナラ』という映画にもなった。
朝焼けのアンコール・ワット