沖縄 浜比嘉島
「ホテル浜比嘉リゾート」から見る浮原島と南浮原島
羽田6:20発のフライトで沖縄に行くと、まず向かうのが浜比嘉島。少し前に改修された「ホテル浜比嘉リゾート」のレストラン「浜比庭(はぴな)」。ここの伊勢海老のウニ焼き(正式な料理名は失念)は絶品。何度も通っているけれど、他の料理は食べたことがない。ランチなので、それほど値段が高いわけでもなく、沖縄本島に行った時の楽しみのひとつ。レストランから見える景色も絶景です。
シルミチューの鳥居
浜比嘉島は、琉球を作った神様が住んでいた場所と言われていて、たくさんの御嶽があります。アマミチューという女の神様とシルミチューという男の神様が、はじめて子供を授かった場所とされるシルミチュー霊場は、子宝の霊場として信仰されています。
高江洲製塩所
近くには製塩所があり、オーナーが塩ができるまでを実際の製塩所を巡りながら、とても丁寧に説明してくれます。浜比嘉島は本島と橋でつながっているので、船に乗ることなく行ける島です。手前には海中道路がり、その先には伊計島あって、ドライブするととても綺麗な景色がみることができます。伊計島には以前、EM農法のアイスクリームを食べれるホテルがありそれも楽しみのひとつでしたが、残念ながらそのホテルは他のホテルに代わってしまいました。
『朝が来る』 辻村深月 文藝春秋
中学生のひかりは、親、特に母親との折り合いが悪く、
たった一度の失敗が、人生を変えてしまう。その挫折から立ち直る人も、もちろんいるが、そこから負のスパイラルに嵌るとなかなか軌道修正する術がないことがよくわかった。辛い不妊治療から脱して、方法はともかく子どもを授かったときに、暗い闇が終わり、「朝が来る」と表現している。このタイトルからして、著者にとっての、この作品の主人公は栗原夫婦、特に栗原佐都子かもしれないが、僕にとってのこの作品の主人公はひかりだった。ひかりが主人公なら、いったいどんなタイトルがついたのだろうか??
満足度4.2(5点満点)
カエサルやキケロが歩いたフォロ・ロマーノ
ローマ歴史地区 世界遺産1980年登録 1990年範囲拡大
ローマ フォロ・ロマーノ
古代ローマ帝国の政治の中心地。今の日本における霞が関。ここをカエサルやアントニウスやキケロが歩いた場所だと思うと、とても興奮した。ローマに滞在中、4回も通ったのになかなか天候にめぐまれなかった。陽が出てきたので、予定を変更してフォロ・ロマーノに行くと雲が多くなり、あきらめて他の遺跡に行くと晴れ出したり。日本の天気は、「晴れときどき曇り」、もしくは「曇りときどき雨」なのに、ローマは「晴れときどき雨」という天気が多かった。
フォロ・ロマーノとコロッセオをいまの日本に置き換えたら、霞が関と国立競技場がとなりにある感じ。ローマ市民の心をつかむためにコロッセオで剣闘士を闘わせ、フォロ・ロマーノでローマ市民を法律で縛っていた、「アメとムチ」の象徴の場所。
クレオパトラと古代ローマの将軍
ローマ初代皇帝アウグストゥス像
宿敵ポンペイウスを倒し、共和制から帝政への礎を築いたカエサル。当時ローマの属国だったエジプトの女王クレオパトラと愛人関係になっていた。クレオパトラは国内の権力争いにおいて劣勢だった。内密にカエサルに助けを求めるために、カーペットに包まってカエサルの前に登場したエピソードが映画にもなっている。カエサルとクレオパトラの間にはカエサリオンという子供も生まれた。
そのカエサルがブルートゥスらに暗殺され、ローマの覇権は、カエサルの右腕だったアントニウスとカエサルの甥っ子オクタヴィアヌス(のちのアウグストゥス)の争いになる。カエサルが暗殺され、後ろ盾を失ったクレオパトラは、アントニウスに近づき、今度はアントニウスの愛人となる。(アントニウスの妻はオクタヴィアヌスの姉のオクタヴィア)紀元前31年のアクティウムの海戦で、アントニウスとクレオパトラ連合軍がオクタヴィアヌスに負けて、クレオパトラは毒蛇に胸を咬ませ、死んだ。
クレオパトラが絶世の美女とされるのは、カエサル、アントニウスというローマ将軍を自分の虜にしたことによるのだろうが、実際はその容貌はそれほどでもなく、奇抜な考えや、明晰な頭脳など内面によるところが大きかったという説もある。クレオパトラにまつわる遺物はあまりないのだが、コインなどに描かれたクレオパトラは、それほど美しくないという。
東アジア最大の湖トンレサップ湖の水上生活
湖の上に自宅も、学校も、お店も、病院も、ほとんど何でも揃っています。雨季になると、湖の大きさは最大になる。琵琶湖の10倍の面積をもつ湖。淡水魚が豊富で、カンボジアの川魚の産地になっています。
ただ、料理に使う水も顔を洗う水も湖から取水する。生活排水やトイレは、そのまま湖に流す。魚はその有機物を食べて成長する。見事な循環。これほど、常識の違いを感じたことはない。
『太陽の棘』 原田マハ 文藝春秋
終戦直後の沖縄に在沖縄アメリカ軍の軍医として派遣されたエド。親に送ってもらった高級車ポインティアックで、同僚二人とはじめてドライブに出かける。道に迷って辿り着いたところは、誇り高き画家が集まってつくった芸術の街ニシムイだった。占領された側の沖縄のタイラを筆頭とする画家たちと、医者になる前は画家になることを夢見ていた占領した側のアメリカ人エドが仲良くなるための障害はなにもなかった。絵画という言葉を通して心が通じ合うようになる。軍務が休みの度にニシムイに出かけ、一緒に絵を描いたり、絵を購入して母国アメリカに送るようになった。タイラ達画家は、戦後の貧しい生活の中でも絵を描く情熱を失うことなく、ただひたむきに生きている。そんな彼らを少しでも喜ばそうと、エドは母国アメリカから画材を取り寄せ彼らに配る。そんな中、画家のひとり、ヒガがアメリカ軍将校に暴行を受け失明する事件が起こり、エドの人生に変化が生じる。
あとがきを読むと、実際にあった話をモチーフとして書かれた小説ということがわかる。当時の沖縄はアメリカの占領下にあり、アメリカ人に対する感情は頗る悪い中、沖縄の画家とアメリカ軍医が芸術を通して心を通じ合わせたのは奇跡に近い。基地問題やアメリカ兵の犯罪など、現在でさえ戦争の影が色濃く残っているのに。
満足度4.0(5点満点)
たった1日の、でも充実した尾道観光 瀬戸内しまなみ海道
3月18日18時予定通り最後の商談が終わり、予約していたグリーンヒルホテル尾道に向かう。4週連続の出張の疲れを癒すつもりで、一日延泊して観光する予定を組んでいた。最後の出張先の尾道は初めて訪れた町。18日の天気は生憎の雨。ホテルに荷物をおいてすぐに、カメラと三脚を担いでホテルの周りを散策にでる。雨のため傘をさしての散策はカメラが濡れないか心配で遠出はできない。空腹を感じてホテル隣接のステーキ食べ放題のレストランで舌鼓をうつ。食後、目の前の向島(むかいしま)の船を修繕するドックのクレーンがライトアップされていたので、この日始めてのシャッターを押す。
向島(むかいしま)のドック
この写真を撮ったところが向島に渡るフェリー乗り場で、上りフェリーの最終便の時間を確認するとまだ時間があったので、とりあえず向島に渡ってみることにする。料金は100円。フェリーが出港するとおじさんが料金を徴収しにやってくる。乗客は、仕事帰りの人たちばかりでカメラを担いでいるには場違いな雰囲気。6分で向島の港につき、尾道側からみたドックの裏側に行けないかと細い道を進む。
向島からみたドック
水たまりを避けながら、なんとかクレーンの裏側に侵入。幸運なことに雨が止んでいた。夢中になりすぎて時間を忘れ、気づいたら最終便の時間が迫っていたので、大急ぎで港に戻ると出港するのを待っていてくれてぎりぎり乗船することができた。
翌朝は9時5分発のフェリーで生口島(いくちしま)まで行くことする。料金は1050円。天気は曇りだけど、とても濃い霧。今日も天候には恵まれず。晴れていれば絶景だろうと思われる風景をみながら、45分間の乗船で生口島に上陸。今回はまったく下調べをしていない旅なので、生口島についてから観光地を案内板で探し、自転車を借りるために島のインフォメーションに向かう。
情緒ある風景
自転車で向かった先は、サンセットビーチ。サンセットビーチに近づくころ、遠くに大きな橋が見え始めた。「あの橋を渡ってみよう」と予定変更。地図を見るとその大きな橋は多々羅大橋という橋だった。
この橋を渡ったさきは大三島(おおみじま)。なんとこの島の住所は愛媛県今治市。海面の高さにある道路を走っていたので、この橋と同じ高さまで自転車で登るのが本当にしんどかった。このときほんの一瞬青空が広がった!往復約30kmの道のり。自転車を返したときには、膝が笑って力が入らない状態に陥る。ランチはインフォメーションにほど近い「ちどり」でタコ飯を食す。タコの塩辛がとても美味でお土産に買う。商店街を歩いている時に瀬戸田レモンが有名なのを思い出してレモンも買った。13時30分のフェリーで尾道に戻る。
生口島のフェリー乗り場
尾道に戻って今度は山登り。千光寺に向かう。JR尾道駅の裏から急な階段や坂道を登る。途中、尾道城がるが、前日乗ったタクシーの運転手に聞いたところ、お城ブームの時に観光客を呼ぶために造られた城で、運転手さんは偽物と言っていた。
尾道城と瀬戸内海
お城に辿り着くと入口は固く閉ざされていて、いまやシンボルになっているだけのように見える。坂道を登って高度が上がると新尾道大橋が視界に入る。
自転車を漕いで、山道を登りしんどい気持ちを綺麗な景色が癒してくれた。そしてやっと到着した千光寺。御朱印帳を持参しなかったので御朱印帳を購入し、御朱印をもらう。
千光寺本殿と新尾道大橋
尾道は町の至る所にお寺がある。密集度合いは京都以上に高いと思われる。寺ばかりを廻ったら一日で一冊分の御朱印が集まるほど。
途中で見つけた桜
たった一日ではまったく足りなかった尾道散策。帰りの長い長い新幹線で次回の尾道の旅行の計画をたてた。尾道に入り、島を渡って愛媛県に行き、四国を横断して徳島から岡山に戻り、倉敷を観光して岡山から新幹線で帰る。できれば島ごとに一泊したい。
たった一日の尾道だったけれど、とても充実した素敵な旅行になった。